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宇陀松山藩についての「よもやま話」

夏本番となって参りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 

ダイワホーサンでは、今年12月に東京で新ものづくり・新サービス展に出展させていただくことになりました!

 

会期:2019年 12月 4日(水)〜 6日(金)

会場:東京ビッグサイト 青海展示棟Bホール

 

皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!

 

当社では、オリジナルライフジャケット「うきカブト」を出展させていただきます。

こちらは、昨年のダイワホーサンのブースの様子です(^^)

 

「かばんメーカーがお届けするライフジャケット」というのをコンセプトにしており、何より丈夫で抜群の浮力、子どもさんが着用しやすいことをコンセプトに開発しております。

 

昨年、展示会にお越し下さったお客さまから「頭の帽子がとてもいいですね。ソフトヘルメットですね。」という意見をたくさんいただき、そのお声をヒントに「うきカブト」という名前をつけることにしました。

カブトというのが、しっかり守ってくれそうだという願いをこめて「うきカブト」としました。

 

カブトと言いますと、戦国武将を思い出しますが、ダイワホーサンのある宇陀市の大宇陀という場所には、かつて宇陀松山藩があり、今でも古い町並みや城跡、西口関門という大きな門が残っています。

1600年の関ケ原の戦いの功績によって、福島高晴が伊勢長島(今の三重県)から石高を増やされて、この地に移ってきました。

 

1615年の大坂夏の陣で、福島高晴は豊臣氏に内通した疑いで改易により、屋敷も身分も取り上げられました。その後、織田信長の次男である織田信雄が藩主となっています。

子どもの頃は、「おだのぶお」だと思っていたのですが、「おだのぶかつ」と読むそうです。

(^^;)

その後は、織田信雄、高良、長頼、信武、信休まで継がれましたが、その後、宇陀松山藩は、廃藩となりました。

現在では、ダイワホーサンのすぐ近所に、その城跡が残っています。

城跡に登ってみたのですが、非常によい眺めです。

この風景のもう少し右側にダイワホーサンがあるのですが、残念ながら山に隠れて見えませんでした。あともうちょっとだったのになあ・・・。

 

かつて宇陀松山藩の城下町があったところは、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、現在、落ち着いた雰囲気を残しながら、町屋がオシャレなカフェに変わっていて、それもたくさんできており、どこに入ろうか迷うほどです。

また、古くからの和菓子屋さんや酒造メーカーもあります。こちらはまた、別の機会にたっぷりと紹介をしていきたいと思います。

 

また、宇陀市は吉野本葛を作る「森野旧薬草園」があります。日本最古の薬草園であり、当主は、森野藤助(もりのとうすけ)という名前を代々受け継がれています。

「森野旧薬草園」は小さいころによく学校の遠足でお邪魔しました。園内にかりんの実が落ちていて、大きくてびっくりしたものです。

こちらの葛湯は、小さいころ、風邪をひいたときやお腹を壊したときによく、家族に作ってもらって飲んでおりました。葛湯をいただくと弱った体にしみわたり、回復が早いそうです(^^)

 

ここ宇陀市は、古くから薬草の産地であり、「日本書紀」巻第22に書かれているそうですが、611 年(推古19年)、5月5日に薬猟(くすりがり)が大宇陀で行われたとあります。

宇陀市からはロート製薬、ツムラ(旧津村順天堂)、アステラス製薬(旧藤沢薬品)など製薬企業の創設者を輩出しており、宇陀松山地区には、薬問屋であった細川家跡の「薬の館」もあります。

この薬の館は、表から見るよりも奥行きがずっと広く、中庭や蔵などがあり立派なお宅です。当時はここで何人くらい働いていたのだろうか・・・屋敷の中は薬草がたくさん置かれていたのだろうかなど・・・昔に思いをはせながら見学することができます(^^)

宇陀市では現在、大和当帰(やまととうき:主に婦人薬に使われています)の栽培がさかんに行われています。

 

宇陀の歴史は、まだまだたくさんありまして、別の機会にこれもたっぷりとお話させていただきたいと思っています。

 

それでは、まだまだ暑い日が続きますが、皆さま、栄養と睡眠をしっかりとられて、どうぞお体を大事になさって下さいませ。

 

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